大阪地方裁判所 平成8年(ヨ)991号 決定 1996年8月28日
債権者
横敏行
(他六名)
右債権者ら代理人弁護士
森博行
右同
永嶋靖久
債務者
穂積運輸倉庫株式会社
右代表者代表取締役
久保田博央
右債務者代理人弁護士
若尾令英
右当事者間の平成八年(ヨ)第九九一号地位保全等仮処分申立事件について、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
債権者らの各申立てをいずれも却下する。
申立費用は債権者らの負担とする。
理由
第一当事者の申立て
一 債権者ら
1 債権者らが、平成八年四月二一日以降も債務者に対して労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 債務者は、平成八年五月二六日から本案第一審判決言渡しに至るまで、毎月二六日限り、債権者横敏行に対し、金三五万一五六九円、同與儀功栄に対し、金三四万七五二円、同山岡日出夫に対し、金三四万四〇一五円、同中川英昭に対し、金三二万一〇六四円、同久保山真児に対し、金三四万七四八〇円、同中澤勝一に対し、金三三万七三〇五円、同藤本重利に対し、金三二万六七二〇円を、仮に支払え。
二 債務者
主文同旨
第二当裁判所の判断
一1 当事者
債務者は、自動車運送業及び自動車運送取扱い事業、倉庫業等を目的とする株式会社であり、その営業は、住友ゴム工業株式会社(以下「住友ゴム」という)が製造するダンロップタイヤを販売する株式会社日本ダンロップ(以下「日本ダンロップ」という)の大阪流通センターとして、ダンロップタイヤを倉庫に保管する倉庫部門と、このタイヤを日本ダンロップの京都府、滋賀県、兵庫県内の各代理店に配送する運送部門で構成されていること、債権者横敏行(以下「債権者横」という)は、昭和五二年、債権者與儀功栄(以下「債権者與儀」と言う)は、昭和五三年、債権者山岡日出夫(以下「債権者山岡」という)は、昭和五四年、債権者中川英昭(以下「債権者中川」という)及び債権者久保山真児(以下「債権者久保山」という)は、昭和五五年、債権者中澤勝一(以下「債権者中澤」という)は、昭和五九年、債権者藤本重利(以下「債権者藤本」という)は、平成元年から、それぞれ債務者に雇用され、平成八年三月当時、債権者横、同與儀、同山岡及び同中澤は、倉庫部門でダンロップタイヤの荷役業務に、同久保山、同藤本及び同中川は、運送部門で運送業務に、それぞれ従事していたこと、債権者らは、全日本港湾労働組合関西地方大阪支部(以下「支部」という)穂積分会(以下「分会」という)に所属していたこと、分会は、昭和五六年六月に結成され、債権者横が分会長、同中川が副分会長、同與儀が分会書記長であること、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 平成五年一二月、債務者は、支部に対し、運送部門を廃止したい旨の申し入れをしたが、これを支部が拒否し、債務者が、同月、右申し入れを撤回したこと、平成七年三月、債務者から支部に対し、再び運送部門についての申し入れがあり、運送部門四名のうちの二名を倉庫部門に配置転換する旨の申し入れがなされ、結局、分会員一名が同年七月、倉庫部門に配置転換され、運送部門は三名になったこと、さらに、平成八年一月、債務者は、支部に対し、運送部門を廃止し、三名を倉庫部門に配置転換したい旨申し入れ、支部及び分会は、これに基本的に同意し、確認書が作成されたこと、しかし、同年三月一八日、債務者は、債権者らの勤務態度を問題にし、右配置転換等についての確認書への調印を保留したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二 本件辞職願の提出等及びその効力、撤回に関する当事者双方の主張
1 本件辞職願提出の経緯等
本件疎明資料及び審尋の結果によれば、平成八年三月二〇日午前八時ころ、債権者横、同與儀、同山岡、同中川、同久保山及び同藤本の六名がファミリーレストランに集まり、話合いが行われ、副分会長である債権者中川から債務者の確認書調印についての態度に対する抗議行動として、債権者ら七名の連名で退職届を提出することが提案されたこと、右提案に反対する者はいなかったこと、同日夜、債権者中川が、自宅で債務者に宛てた辞職願を作成したこと、翌二一日朝、債権者らは、始業前に組合の分会事務所に集まり、七名全員が、債務者代表者に宛てた平成八年三月二一日付けの「自己の都合に依り平成八年四月二〇日付にて辞職至します」と記載された辞職願一通に署名、捺印したこと、そして、支部に諮ることなく、分会長である債権者横が、朝礼終了後の平成八年三月二一日午前八時三〇分ころ、封筒に入れた右辞職願を管理職である後藤隆一課長(以下「後藤課長」という)に「この封筒を社長に渡してほしい」と言って、手渡したこと、同日昼ころ、右辞職願が債務者代表者の手に渡ったこと、同日午後三時ころ、休憩室に債権者らがいたところ、後藤課長が、「これ社長から預かりました」と言って、持参した封筒を債権者横に手渡したこと、債権者らが、封筒の中を確認すると、右封筒には債務者所定の退職届の用紙が七枚入っていたこと、同日六時ころ、債務者代表者は、債権者らが、一か月分の有給休暇を残していたので、退職日まで有給休暇をとることもあると考え、債務者の業務ができない可能性を考えて、住友ゴムに対し、その旨連絡をとったこと、同日夜、債権者横及び同與儀が、支部に電話で右辞職願提出の経緯及び債務者の対応を説明し、撤回する方法を考えて欲しいと依頼したこと、同月二二日、支部は、分会三役の債権者横、同中川及び同與儀を呼び出し、事情聴取を行ったところ、同人らは、確認書調印についての会社の態度に反発し、会社を困らせて、反省させることを目的に辞職願を提出したが、真実、退職する意思はない旨述べたこと、同月二四日、支部から右辞職願を撤回するように債権者らに指示があったこと、同月二五日朝、分会三役の債権者横、同中川及び同與儀は、債務者代表者に対し、「昨日、支部から会社を辞めるのはいつでも辞められるから、もっと会社と話し合えと言われたので、辞職願を撤回したい」と申し入れたこと、債務者代表者は、同人らに対し、債務者は受領しているので、撤回には応じられない旨答えたこと、同月二六日朝、債務者代表者は、債権者らに対し、前記辞職願は受理されているので撤回はできない旨話したこと、以上の事実が認められる(証拠略)。
2 本件辞職願の効力、撤回に関する当事者双方の主張
(一) 債権者らは、本件辞職願は労働契約の合意解約の申込であるが、以下の理由によりその効力を有しないから合意解約は成立せず、労働契約終了の効果は発生しない旨主張する。
<1> 債権者らは、真実、退職する意思がないにもかかわらず、債務者に対する抗議の手段として債権者ら全員が一通の用紙に連署した辞職願を提出したもので、従って、債権者らの合意解約の申込は心裡留保によるものであり、債務者は、債権者らの真意に出たものでないことを知っていたか、又は債権者らの真意を知ることを得べかりし状況にあって、本件辞職願を受領したのであるから、民法第九三条但書により無効である。
<2> 本件辞職願による合意解約の申込は、債務者が、これを承諾する前に、債権者らによって撤回されているから、合意解約は成立しない。
(二) 債務者は、債権者らの右主張をいずれも争うとともに、本件辞職願は、労働契約の一方的解約告知と解することができること、債権者らが、本件辞職願を提出し、債務者は、これを受理したので、民法六二七条一項により債権者らと債務者間の労働契約は終了していること、また、債務者は、債権者らの本件辞職願が、抗議のための手段でしかなく、債権者らの真意に出たものではないなどということを知らなかったし、又は債権者らの真意を知ることを得べかりし状況になかった旨主張する。
(三) 従って、主要な争点は、次のとおりである。
<1> 本件辞職願は辞職の意思表示か又は合意解約申込の意思表示か。
<2> 本件辞職願は心裡留保(民法第九三条但書)により無効か。
<3> 本件辞職願の撤回の可否
三 そこで、以下検討する。
1 債権者らは、本件辞職願は、債権者らが、真実、退職する意思がないにもかかわらず、債務者に対する抗議の手段として提出したものであると主張するが、債権者らに真実、退職する意思がなかったとして、心裡留保に該当するとしても、本件辞職願の無効を主張しうるものではない(民法九三条本文)。
また、債務者の就業規則第六五条三号は、「所定の手続きを経て退職を願い出」と定めてあるが、様式については定めはなく、債務者において、一定の様式の退職願を提出するという労使慣行が存することの疎明もない。従って、本件辞職願が、一通の用紙に債権者ら七名が連署したものであるからといって、本件辞職願が無効ということもできないものと考える。
2 そこで、本件辞職願は辞職の意思表示か又は合意解約申込の意思表示か検討する。
労働者から辞めるとの意思表示がなされた場合、それが使用者に対する一方的な意思表示である労働契約の解約告知であるのか、使用者の承諾を得て労働契約を終了させる合意解約の申込であるのかは、それ自体で明白とは言い難い。それは、当事者の言動等により判断されることであると解するが、本件では、債権者らの言動等からして合意解約の申込と認めるのが相当であると考える。
3 前記のとおり本件辞職願は合意解約申込の意思表示であると解し、さらに、債権者らの意思表示が心裡留保に該当するとして、債務者は、債権者らの真意に出たものでないことを知っていたか、又は債権者らの真意を知ることを得べかりし状況にあって、本件辞職願を受領したかどうか検討する。
前記二1認定の事実によれば、債務者は、債権者らに退職する意思がないことを知っていたとも、また、知りうべきであったとも認めることはできない。
4 本件辞職願の撤回の可否について検討する。
前記認定のとおり本件辞職願を合意解約の申込と解すると、債務者が承諾して初めて解約の効力が生ずるものであり、承諾がなされるまで、信義に反すると認められるような事情がない限り、債権者らは解約申込の意思表示を撤回できると解するのが相当であり、また、「私企業における労働者からの雇用契約の合意解約申込に対する使用者の承諾の意思表示は、就業規則等に特段の定めがない限り、辞令書の交付等一定の方式によらなければならないというものではない」ところ(最高裁第三小法廷昭和六二年九月一八日判決、労働判例五〇四号六頁参照)、本件において、前記二1認定の事実によれば、平成八年三月二一日、債務者代表者に本件辞職願が手渡され、同日、債務者所定の退職届の用紙が債権者らに手渡され、債権者らは右用紙を確認していること、債権者らは、同月二五日、債務者に対し、解約申込の意思表示の撤回をしていることが認められるから、同月二一日、債務者が、債権者らの申込を承諾したことが認められ、債権者らは、債務者の承諾後に意思表示を撤回しているので、撤回の意思表示が有効になされたものとは認められず、そうすると、債権者らと債務者間の労働契約は、平成八年四月二〇日限り終了したものと考える。
よって、主文のとおり決定する。
(裁判官 榎本孝子)